2014年1月30日木曜日

欲望的な意志の話

今回は意志の所在についての話。

みなさんはボタン一つ押すということを、意志もってやっているだろうか。
強い行動を何も考えずやってはいないだろうか。

自分も手グセや反応で動くことが多々ある。
強い行動は通用しやすい。だからブンブン剣を振りまくる。
しかしそれが通用しなくなった時、変えようとは努めてる。

ボタンだけじゃない。
例えばリュウの灼熱波動拳。
灼熱はカウンターヒットすると屈大Kがコンボとして繋がる。…よね?
球打ちの中で手グセでやっていた場合、カウンターヒットしてたにも関わらず見逃すことが多い。

自分も最初はヒット確認やカウンターヒット限定でのコンボなんて無理だと思っていたが、ちゃんと「もし○○してたら☆☆する!」と意志を持っていれば確認は意外と容易にできる。

人はどうにも、あることに慣れてくると考えるのをやめてしまう。
セビバクステが強いキャラはそれだけで逃げようと考えがちだし、ヤバい!と思ったら無敵技を擦ることを第一に考えてしまう。
それが通用してるなら尚更だ。

もちろん手グセや反射で対応しなければならない場面もあるが、その行動に対する意志の所在を今一度改めて考えたい。

自分のターン・相手のターンという試合の大きな流れとして把握するのも大事だけど、ボタン一つ一つを押すというところまで細かく分割して、集中して相手の行動を見て考えるのも大切だ。

特にまことなんて試合スピードが早くなることが多数だ。
荒れるということは自分に対しての事故も多い。瞬時に反応しなければならない。

そこで如何に落ち着いて状況判断を下せるか。下した上で対処できるか。そこで生まれたチャンスを掴めるか。

幸運はそこかしこにある。が、それらはちゃんと意志を持ってないと摑めないものなんだろう(キリッ

2014年1月27日月曜日

欲望的な勝ち負けの話

なんか色んな方に見て頂いているようで、嬉しい限りです。

てなわけで、今回は自分の「このゲームにおける勝ち負け」に関する所感をまとめたい。

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格闘ゲームは結果がシンプルに出るからこそ面白い。

1対1で、各々のキャラに自身を投影し、操作し、勝敗を獲りあう。
最低限のモラルは持つべきだが、結局のところ「強いが正義」だ。歪もうが、それがどんなにつまらないものだろうが、だ。

が、”エンジョイ勢”だとか”ガチ勢”という言葉があるように、ゲームである以上、楽しめればいいものだとも思う。
この「(本来楽しむだけのものであるはずの)ゲームで勝負する。」というギャップを感じるからこそ、自分の中毒性に繋がっている気がする。

自分はこのゲームにおいて、勝てばうれしいし楽しい。負ければ悔しい。そう感じる人間だ。
けれど、勝負という側面においてメンタル管理を考えるなら、これらを極度に感じすぎることは毒になる。
例えば、悔しすぎて切り替えられず、その感情を次の試合に持ち込むと負のスパイラルに陥っていく。勝負事である以上は、もうなんか一種のアスリートのようなメンタルコントロールをしなくちゃならない。
それは学生時分、割と真面目に続けていたスポーツに共通してる。

そしてゲームという側面に強く着目するのなら。
「エンジョイ&エキサイティング」という言葉を心に刻むといいだろう。
所詮はゲームなのである。

けれど。

自分はどうしても勝負という側面に頭を持っていかれる。
いかに相手を、わからせるか。これに執着している。
先の「エンジョイ&エキサイティング」という言葉もそうだが、さまざまな価値観があることを念頭に入れた上でのものだ。

ついでに、友人にこんな奴がいる。

「自分が相手に勝ちすぎたり、悪いと感じてしまうと、絶対勝てる場面でも相手に譲ってしまう。」

自分の価値観で照らしてみればあり得ない考えだけど、こういった人だっている。そしてそれもアリだと思う。
自分の向かい側でレバーを握ってる人の中には、こういった楽しみ方をする人もいるってわけだ。

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自分は負けても悔しいと思うことがあまりない。いや、ある時期からなくなった。

「このキャラふざけんな。」とか「こいつは絶対に負かす。」と思わないわけじゃない。逆にこういう感情が沸き起こりがちな人間だ。
けれどまだBP的にも停滞してた頃に身内に言われた
「欲望は強いけど、温まると弱い。」という誰にでも当てはまるような一言が自分の勝ち負けへのこだわり方を変えていった。
その感情に視野を奪われるよりも、もっと他に「どうすべきか。」に目を向けることができた。
だから今は舐めプレイされても、PAされても、「どう舐めプ仕返した上で勝とう」とか「どう鮮やかにPAフィニッシュしてやろうか。」という思考になる。
というかPAに関しては仕様としてあるんだから使えばいいと思うし。

まぁ結局どんな感情も”勝ち”を上回ることがなくなった。
温まると弱くなるのなら温まらないようにしようとするのは当然の帰結だ。

みなみなさまも、頭の中で復唱したことがあるんじゃないだろうか。
「温まったら負け。」 これは真理でしかない。
メンタルのコントロールもそうだが、感情のコントロールをしないといけない。マジアスリート。

しかし、考えてみれば考えてみるほど不思議だ。
勝とうと思うから勝てなかったり、負けてもどうってことのない人が勝ちやすかったりすることもある。

だから、正解はない。
けど勝負事において、「自身の価値観をどこに据え置くか」は決めることができる。正解を自分で設定してしまおう。
今までの表現で引用するのなら、自身の虚像を作ることになるだろう。主観に依り過ぎるとそれが壊された時、立ち直ることが難しくなる。
自分は、どんなふざけたプレイでも、どんな舐めプをされたとしても、相手を一旦許容してあげることで自分の軸を確認するってことを大事にしてる。
この”してあげる”が重要。あくまで自分の価値観が最上だと勘違いする方がブレない。
つまりムカついても温まったりしてもいいけど、それが一番上に来たらダメってことだ。

加えて言うなら、どんな強い人でも負ける時は負ける。
その一つに囚われていたら次の勝ちを掴めない時もある。
だから勝ちの味だけを覚えて、負けのそれは忘却の彼方に追いやるのも、勝ちへの追求になるんじゃないだろうか。

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正解がない分、本当に様々な価値観があると思う。
逆に勝ちの正解なんてのを作るほうが、それを潰された時、全く勝てなくなってしまう訳だし。

けど強い人っていうのは自身の理論・持論に忠実だ。それを知ってから自分は勘違いしてる奴が強いと思い込み、ブレずにいることを第一に考えてやってきた。

手癖がなかなか変えられないように、今更その価値観を変えるのも難しいし、これでいいんだと思うようにしてる。

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冒頭でも書きましたが、色んな方に見て頂いているようで嬉しいです。
「こんな深く考えてやってるんですね!」とも言われましたが、こんな深く考えてはやってません。ただ理論化しようとか文章にした時、端的に著せない自分の足りない頭のせいなんです(釈迦顔)

ま、そんな欲望ブログですが。
このゲームをもっと楽しめる一因になれると嬉しいですね!

2014年1月24日金曜日

欲望的なまこと愛の話





ああ^カワイイんじゃあ~


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このゲームを始めて半年間、自分は本田使いだった。

始めてマスターになった頃には100%と言っていいほど”コパ張り手”を繰り出すことができていた。
が、AEになって始めての、今は亡き闘劇への予選に出た時、張り手が一回も出なかった。その時はゲーセンや筐体が違うからか?と勘ぐったが、その後も一切出すことができなかった。

その闘劇予選に一緒に出たRaiの「キャラ変えた方がいい。」という一言を信じ、その時サブで使っていたまことを使い始めたのがキッカケだった。
当の本人は「適当に言った。」らしいが、自分的にも新キャラでメインにコンバートするなら、女キャラでかつカワイイキャラにしたいと思っていたので、意外とすんなり受け入れることができた。

その時思った。
そしてもう一度言おう。何度だって言おう。
まことかわいい。
申し訳ないが、異論は許すことができない。

そしてキャラ愛に関しても様々な意見があるのもわかっている。
「勝ちを獲るなら、巷で言われている強キャラを選ぶべきだ。」「自分に合ったキャラを選ぶのが普通やろ。」「昇竜ないとか無理。」
勝ちを望むのなら、愛や使ってて楽しいだとか、そういった”不純物”を取り除き、純粋に歪み強さのみを追求するべきだと思う。

けど、自分にとってまこととは。
触ってて楽しいし、見ててカワイイし、なにより純粋に勝ちつづけていくことができるキャラだと思ったから使い続けている。

が、使いはじめの頃は酷かった。
元メインの本田が飛んで降りてくるどっしり構えた重量級な性質に対して、まことは歩きこそ遅いがダッシュが異様に早く、しかも持ってる技も逃げよりも相手を殺すためのものが多い。
慣れないし、コンボもシンプル。最初の1000戦くらいの時は勝率が8%だったのが印象として残ってる。

が、使い続けてみてわかることも合った。
ピンキーなキャラだからこそ、守り(捌き方やリスクの低い選択肢を選ぶ)が上手くなっていった。あとは他キャラよりも詰み状況が多いからこそ、メンタルの管理ができるようになった。そして何より読み合いの奥深さを知ることができた。

もっと具体的に言うなら、リスクを第一に考えるのか、リスクを無視して太い選択肢を採るのか。このゲームにおける、セオリーという共通認識との距離感を意識することで、その判断への嗅覚が研ぎ澄まされていった気がする。

加えて。

これもまた個人的な意見になってしまうが、このゲームは38キャラもいるんだから色んなキャラクターで遊んだほうがいいと思う。
そこで色んな発見もあれば、自分のようにメインへコンバートすることもある。対策にもなるし、被ネタ殺しへの対処にもなる。
今はそのキャラクター使いの対戦動画なんてたくさん転がってるし、セットプレイやコンボルートだってググれば出てくる。遊ぶ感覚で、ちょっと触ってみるのはありだと思う。

話が逸れた。
あと遅くなったが、この記事から得られるものはなにもないと思う。
ただ単に自分がまことへの愛を垂れ流すだけの記事だから。

スーパーストリートファイター4の時点でJCと聞いた時は歓喜驚愕したが、それでも愛は変わらない。ますます燃えるものがある。
アレコスで制服姿が出たけど、自分はやはり道着を着てこそまことはカワイイと思う。丹田で真っ赤になりつつもウルキャンして相手の股間を殴るまこっちゃんすら美しく思える。

唯一有益なことを言うなら、自分はまことを使う上で「いかに怖がってもらうか」を意識している。具体的に言うなら唐草。前の記事と言ってることは重複するが、個人的には昇竜擦りやバクステ、ジャンプを選ぶ人のほうがやりやすい。

問題はそれらを狩れるか、ど。狩ることのダメージもさることながら、相手の回避行動を読むことで精神的に追い詰めていく。それが自分のスタイルだったように思える。

まとめる必要もないけど、惰性で。

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・まことカワイイ
・勝ちたいならキャラ愛は捨てよ?
・まことかわいい
・自分は場が荒れたほうが冷静になれる。
・そのキャラに対するパブリックイメージを利用しよう

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おわれ。

2014年1月23日木曜日

欲望的なじゃんけんの話 その2

前回は「じゃんけん」について支離滅裂ながら書いてみた。
なので続きをば。

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前回だらだらと書いたことをなぞると。
読み合いにおいて自分がまず考えること、実践で照らすなら、それは

・起き攻め時であれば「相手の回避行動」を考え、できるだけリターンの高いものを選ぶ
・被起き攻め時であれば「自分の回避行動」で、できるだけリスクの低いものを選ぶ

ことを第一に考えていることが多いってことだった。まぁ至極当然なことですね。

・・・とまぁ書いたものはいいが、どうにも具体的な例がなく想像がしにくい。

なので「まこと使い」な自分ならどうしてるか。どんなことを考えてるかを挙げてみたい。

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まことで、自分の中ではリスク・リターンを考えた上での行動なんだけど、一番「頭おかしいと思われてるんだろうなー」という行動といえば、
「ドットでコケて削り確の時、ウルコンをパなすよりも前ステを選ぶ」ことだろう。
どうせ負けるなら・・・と躍起になってウルコンをパなすこともある。が、UCパなしなんてものは大体にして当たらない。相手の処置が甘くあたってしまうこともあるが。

ここで前回の回避行動に照らして考えて見るなら、
相手は「最後っ屁のウルコンだけには当たりたくない」と考える事が多い。
そうした判断を見越した上での前ステなのだが、意外に噛み合うこともある。
また、ドットじゃなく中攻撃一発分の体力が残った状態で同じ状況であれば、大体相手の「EX唐草orEX颪orUC読みの垂直」を読んだ対空正中線五段突きか、「投げ重ね」読みのリバサ剣を選ぶことが多い。
この極端な二択に、自分の中で絞り、そこで読み勝つことができれば。
その時の状況も、そのあとの試合における流れも引き寄せることができる。

まぁうまい人は大体詰み状況を作ってるし、そんなホイホイ通りはしないけど。
安易にウルコンをパなすことも重要な場面もあるが、(読み合いが一周していない場合には)大体当たらないことを考えれば、選んでもいい手段だ。

これらは簡単な例。というか、逆にこういうことをして始めて読み合いに持っていける。
「あ、こいつはこういうことする奴なんだ。」と、相手が作る自分に対しての虚像に+αすることで行動を制限することができる。
これらをせずに、ただただウルコンをパなしても処理されてしまうのがオチだろう。

これらの発想は自分の起き攻めにも応用している。
例えば相手への起き攻めの時、相手の体力がドットであればおもむろに”歩いて”唐草を狙いに行く。
極論だが、そこで通常技があたってしまえば負けてしまうからだ。
ここで唐草を選ぶということは、何か相手のリバサ無敵技を擦っていた場合や、バクステ・ジャンプを選んでいた場合、こちらが負けてしまう選択肢をしているということになる。
が、自分は相手がリュウで2ゲージあろうとかなりの確率で唐草を重ねに行く。
これは、まことに対の選択肢として「昇竜を透かす低空剣」があるからこそできるものである。こうした「何度も昇竜を透かした」結果、唐草フィニッシュが通ることが多い。

これは相手がザンギでも、セスでも、豪鬼でも、重ねてしまう。
ただもちろん考えなしに重ねてるだけじゃなく、その人が負けてもいいや。と思える人なのか、最後まで画面を見ている人なのか。で判断している。
ドットのザンギだからこそ、グルグルする人なのか、しない人なのか。
ドットのケンだからこそ、ガチャるのか、ガチャらないのか。
それまでの同じ状況での読み合いの結果、キャラの性質、人の性格も吟味した上で、そこで推し量っている。

それにそうした唐草を重ねる印象を持たせることができれば、相手の無敵技擦り、バクステ・ジャンプを誘発することもできる。
これもまた読み合いの場を作ったからこそである。

今までの3記事でも繰り返し言っていることだけど、
「状況判断」は様々な材料から推し量ることができる。
ただし、その数多くある材料の中で自分が重要視しているのは、
やはり「今相手がどうしたいか」である。

逃げたいのか、甘えるのか、擦るのか、我慢するのか、勝ちたいのか、負けたくないのか・・・
瞬間的な判断が求められるこのゲームで、この判断を下し、噛み合せるのは難しいが、このスピード感で読みあえることができるってのは非常にスリリングで楽しいものである。
そして勝てば次に同じ状況になった時、有利な状況で選択を迫ることができる。
この有利な選択を迫ることが出来る状況を、幾つ作れるか。
自分がまことを使っていて強く意識していた部分ではある。

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まとめ

・リスク・リターンは表面的なものだけじゃない
→勝負はリスク負ってなんぼ。勝つためにはリスク負って勝負することも。
・怖がらせることで相手の選択肢を狭める
・一見リスキーな行動も、よくよく考えると実は安牌だったりする。
・相手を信じる/裏切るを自分の主導権の元にする。
→それが気のせいでもいい。これが日和らないに繋がっていく。
・相手をもっと理解しよう。

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まことを触ってない人にはなんのこっちゃかもしれないけど、こういう発想は他キャラでも活きている。

まだ自分の中の「じゃんけん」についてまとめられた気はしないけど、とりあえずこんなもんで区切りを付けたい。
また思うことがあったらつらつら書いていきますので、拙い文章ではありますが、よろしくお願いいたします。

2014年1月22日水曜日

欲望的なじゃんけんの話

ああ、ようやく書ける。
なにより自分が書きたかったこと。

「じゃんけん」

でも、絶対にまとまらない。というかまとまらなかった。
以後、基本的にこんなスタイルになるかもしれませんが、まぁ暇つぶし程度に見てやってください。

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というか、本当にこのゲームって素晴らしいよね。
このゲームしかやってない奴が何言ってんだとは思うけど、逆にこのゲームしかやってない奴がここまでドはまりしてる。
キャラクターが持つ技の範囲で相性等を踏まえ、システムといったちょうどいい枠組みが与えられ、リアルタイムで繰り広げられる台越しの”会話”。

その会話はいろんな呼び方をされている。読み合いとか、じゃんけんとか。
また格ゲーってのはすごく流動性を伴っている。場面場面での正解がないとも言える。
そして必ずと言っていいほど訪れる勝ちか負け。
それらを自分と相手の間で駆け引きをした末に取り合う。

自分がこのゲームをここまでやっているのは「じゃんけん(読み合い)」のためだと言っても過言じゃない。
もちろん中には、読み合い無視で気持ちいいことだけを追求する人、そんな人をただただ作業的に処理することに喜びを覚える人、いかに早い時間で倒せるか、いかにタイムアップ勝利で勝つか、ポゥを狙うのか・・・本当に様々だと思う。

・・・でも加えるなら---この記事のコンセプトをぶち壊すけど---このゲームにおいて上記のような〇〇して勝ちたい。ってのはある一定のレベルに達すると弱さに直結する気がする。まぁ今回は切り捨てて書き進めていくけど。

多分、この記事でじゃんけんについては書ききれない。
けどまぁつらつら書いていこう。

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さて、じゃんけんについて書く前に。

実はこのゲームを始める時、アケネームをつけることから躓いていた。
結局のところ、友人の「お前のプレイは欲望的すぎる」の一言と、愛飲してるハイライトをくっつけるという安直なものにはなったのだが。

【欲望ハイライト】

この名前のお陰で自分はずいぶんといい思いができた。
まず、インパクトがそこそこにあるために意外と売名がしやすく、当時のホームだったコミュニティにもすんなり溶けこむことができた。
こういう言い方をすればゲスいが、この時知り合えたゲーム友だちがいなければ、ここまでのめり込むこともなかっただろう。

そして、欲望だからこそ太い択を通し続けることができた。
このゲーム始めたてのころ、本田で起き攻めに大銀杏5回連続で決めた時は絶頂しかけたものだった。そういった蜜の味を覚えてしまった。

まぁつまり、この名前のお陰で自分のプレイスタイルを早々に確立できたのは大きい。

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さて、あとはこのゲームにおける自分の価値観を提示しておきたい。
そのほうがこのブログを引き合いにするときに、わかりやすいと思う。

自分の場合、読み合いに負けても、そこまで悔しくなることが少ない。いや、悔しいけど、その前に自信の判断材料にするように努めてる。
分析といえば格好は付くだろうか。とにかく覚える。
そしてまた同じ場面になった時に、「同じ択でくるのか」「対の択で来るのか」
それらを自信を持って判断し、選択できるようになる。

さらに付け加えて言えば、自分はじゃんけん無視のガー不やガード困難、理不尽なセットプレイが大歓迎な人間です。というか、「このゲームにおいて勝ち以外は無価値」とも思ってる節がある。個人的には何よりも勝ちを優先すべきだと思っている。どんな汚い手でも、醜くとも勝てばよかろうなのだ。
もちろんクソ!と思うことはあるし、果たしてそれは面白いのか?と言えば、小首を傾げるんだけど。
基本的にはぶっぱ食らう奴が悪いし、コケるほうが悪い。相性悪いキャラ使うほうが悪いし、それらを覆せないやつが悪い。それは揺るがない。じゃなきゃやってらんないしね。

そんなことより何よりこのゲームで一番温まるのは相手にじゃなく、自分。
操作ミスやコンボミスetc・・・剣が出ない時は頭がフットーしそうになる。

そんな感じでレバーを握ってる次第です。

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じゃあそんな自分が大好きなじゃんけんで(気持よく)勝つにはどうするか。
つまり、読み合いの場を作ってしまえばいい。極論、二択のどちらかを選ばなければならない場面を。
そのためには様々な布石や判断材料が必要になってくるんだけど。

例えば【学習心理学】において【回避行動】についてこう定義されている。

「回避行動とは、ある行動をすれば、嫌な出来事に合わなくて済む行動のことである」

このゲームで言えば、ザンギの起き攻めに対してスクリューを警戒したジャンプやバクステ。まことに昇竜なんてありません。
その選択をとるということはすなわち、そういった行動をすればスクリューは喰らわないからするに他ならない。
でもサボった瞬間投げられる。つまりこれはそういった行動を取らなかったといえる。

でも、そこに”経験”や”記憶”というものが混ざってくると、

「さっきジャンプをダブルラリアットでお仕置きされたしな・・・」

だとか

「バクステをコパ仕込みで狩られたしな/一点読みのEXバニで狩られたしな・・・」

とかほんの少しでも疑念が生じてくる。
こうした他の行動を罰(制限)した結果、その行動は抑止力に繋がる。

アメリカの心理学者マウラー(Orval Hobart Mowrer)は【学習二過程説】の中で、

「条件刺激→恐怖→恐怖回避への動機が生まれる→試行錯誤→正しい行動を身につける」

という回避行動に対する、一つの説を唱えている。

正しい行動ってなんだよ・・・とは思うかもしれないが、リスクリターンの上で大体の正解間違いを推し量ることはできる。

いつかリスクマネージメントで書こうとは思ったけど、ついでに。
おおよそ元ウオーリアの出す例じゃあないが、例えば4ゲージ持ちの本田や元に対して自分なら飛びまくる。つまりリスクが「EX対空被ダメージ<SC→x」だと思うから。

同じような例で、対リュウにおいて。相手のリベンジゲージが貯まりたてで、2ゲージコッキリしかなく、昇竜セビを食らってしまった場合、滅波動を打ってくれたほうが助かることが多い。
これは自分がまこと使いだからかもしれないが、【まことvsリュウ】において終盤に滅波動が残っているのと残っていないとじゃ、だいぶ心持ちが違う。
まぁ一番いいのは喰らわないことなんだけど。

さて、心理学なんてバタ臭い例までを出してなんですが、もう少し続けてみたい。
先のザンギの例をもう一度考えてみる。

スクリューで投げられたくなければ、

スクリューを避け、それに対して最大限のお仕置きをしなければならない。

「お仕置きされたってスクリューは狙うよ!!」といういかつい反論はこの先の話が立ちいかなくなるのでご容赦ください。

さて罰の話だけど、自分のじゃんけんの持論にもマッチングしているサイトさん(psycho labさん)があったのでそこから引用させていただきたくと、

~~~

1) 即時性…反応の直後に罰を与えること。
2) 強度…罰は強いものほど抑止力が大きい。
3) 強度の漸増…徐々に罰を強めるといった方策を採ると、馴化が起きるので、即座に適度な罰を与えることが望ましい。
4) 一貫性…罰するべき反応には必ず罰を与えること。
5) 弁別的罰…罰の効果を増すためには、弁別的手がかりは除け。
6) 行動の強さと動機付け…罰が同じ強さでも、罰せられる行動、動機が強固なら、罰の抑止効果は弱くなる。
7) 代替行動の有無…罰せられるべき行動に代わる行動を準備してあげると、罰の効果が強まる。
8) 罰そのものが正の強化の手がかりになっていてはいけない

~~~

とのことである。

これらをこのゲームに置き換えて言うなら、
「その場面場面での、最大を、容赦なく、必ずいれなければならない」
かつ、「それは拮抗した、勝負を決するような場面でこそ効果は大きい」と置き換えられる。

お仕置きされても尚、レバーから手を離し手を叩きながら「ははは、すごいすごい」なんて言う人には至極無意味なものではあるが、大抵の場合はお仕置きされたら「その行動を辞めはせずとも、迷う」はずである。

---

これだけ長々と話してきたが、何が言いたいかというとこれらがこのゲームの読み合いにおける布石になる。少なくとも自分はそうして流れを作っていた。
回避行動と、罰の関係性を理解する(または自分の中で整理する)ことで自分の判断に自信が持てるという訳だ。自信を持てたということは、もしその択を通せなくとも精神的ダメージは少ない。ただなんとなくで甘えた選択をして負けるほうが何より”クる”。

また自分は、ここにもう一つ深化させた読み合いのフェイズを用意してある。
あ、なんかかっこいい。

例えば、圧倒的にお仕置きされても、懲りずにぶっ込んでくる人というのはどこかヤケになっている人が多い。
それを処理できれば、相手に残るのは絶望しかない。瞬間は冷静になれるかもしれないが、0からのリスタートを切らなきゃならない。
戦い方を変えたとしても、前にも話したが、結局のところ付け焼き刃のそれには何の凄みもない。

また、例えばお仕置きされたとしても、懲りない奴は強い。
抑止力の役目を果たせず、また(8)のような「ぜってーにスクリュー通してやる・・・!!!」となる人だっているだろう。
長い目で見た時、100回転んだ内100回昇竜擦る人に、自分は勝てる気がしないし、何よりある種の恐怖を抱く。逆もしかり。
つまり、お仕置きの意味を成さない(読み合いの場を作らない)ような人ってーのは、厄介だし苦手だ。
それを処理してこそ上級者への道はひらけるんだろうけど、悪い癖で、自分はどうしてもつまらなくなってしまうことが多い。

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自分の中での、このゲームにおける【読み合い】はこんなイメージ。
みんななんとなくやってることだろうし、今更か。とは思うかもしれないけど、意識することが何よりも大事。
特に回避行動と罰という関係性は、無意識領域に据え置くんじゃなく、全面的に強く意識していた。

これは同時に「今相手はどうしたいか。」「今自分はどうすべきか。」という状況把握及び状況判断を推し量る材料でもある。

疲れたから、また次回。

2014年1月21日火曜日

欲望的な格ゲー理論の話 その2

昨日、次はじゃんけんについて書くといったが






















てな訳で、今回も自分の経験に基づいた格ゲー理論について。

自分がこのゲームをやってた中で、大きな変節は3つくらいあったように思える。
ひとつは前記事で書いた、なんとなく勝てるようになったマスターまでの話。んで、もうひとつ。長く永かったマスタースパイラルを脱却した話を交えて、今回もうだうだ書いてみようと思います。

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まずその話に行く前に。昨日ふと思ったことがある。
「理論理論とは言ってるけど理論って何さ。」ってこと。
wiki先生によれば「理論(りろん、英theory, 独Theorie, 仏théorie)とは対象となる事象原因結果関係を説明する一般的な論述である。」って記載されてる。

ふむふむ。おk。
要は自分がマスタースパイラルに陥った”原因”と”結果”の関係を説明すればいいわけだ。
MU☆RI☆DE☆SU(古風)

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さて、振り返ってみてわかることを書く。
まず自分のマスタースパイラルに陥る原因は幾つかに分けられた。

まぁ最初は【自力不足】、次に【惰性的な思考不足】、んでもって【集中不足】

自分の中ではこれらが大きな壁となって、いわゆるマスター落ちを何十回も経験した。
どこぞのグランドウォーリアに納税してたのもあるけど。

ひとつひとつ説明するまでもないとは思うけど。
これらは今の自分の課題になっていることも多い。「勝てねー!!」って時は少なくともどれか一つは当てはまっている。

んじゃまず最初の【自力不足】について。

「マスターになっても維持ができないのなら、まずはそれに相応しいBPをつけなさい。」

・・・とは言うけど、どうしたらいいかわからないからスパってる訳で。少なくとも自分はそうだった。
で、先の問題を自覚した上で自分がしたことといえば、”対策”を始めた。
別に全キャラ対策をする必要なんてなくて。そこのホームのゲーセンにいるキャラだけ対策してみるといいと思う。
ちなみに自分が思う「自力不足」は、そのまま「経験不足」とも言い換えられた。
そこで自分がした対策は、そのキャラを実際にカード一枚分は使ってみるだった。おすすめ。

で。

たまに、どんなキャラ相手でも同じような戦い方をする人がいる。または場面場面でいつも同じ行動をする人がいる。
その人の中でそれが正解で、且つ、「勝てている」ならいいんだけど。大概そういった戦い方をする人は「勝てる」戦い方に終始している。

”勝てている”にはもちろん、”継続して”ってーのが付く。
こういう自分も相手も分析した上で、継続した同じ戦い方をする人は強い。ブレないし、心を折るのが骨だし、何よりその人に勝たせるともう止められない。
このゲームでは、イニシアチブの所在が有利不利の流れを作る大きな要因だと思う。
某コーディ使いがいい例だ。

またもや話は逸れたけど、結局その試合だけ勝ち取りたい!!って戦い方は、消費期限も早い。バレて、すぐに代わりとなる立ち回りがあればいいんだろうけど、付け焼き刃のそれには”凄み”もへったくれもない。

んで、自分はどうしたかって言うと。
その「一試合だけでも勝てる」という戦い方に付加価値を追加しまくった。
先の話をちゃぶ台返してるかもだが、自分に自力もレパートリーもそんななかった。
差し合いなんて言葉も知らなかったし、対空も出ない、コンボもミスりまくる。でも読み合いだけは負けたくない。
だからこそ、そこ一点に絞れた。一試合だけでも勝ちは勝ち。ただそこに”継続”という価値を付加するために策を弄するようになった。

例を出してみる。
「まこと使い」なので例はまこと。

自分が勝つ時は大概首根っこ掴んで正中線五段突きをかました時だった。
つまり、「唐草」を決めるためにどうすればいいかをひたすらに考えた。
んで、導き出した結論は、「唐草を使わないこと」だった。加えて言うなら、ウルコンを当ててもまだ残るような状況なら極力使わないようにした。

試合中、相手は転んだ時、起き上がりの唐草重ねを少なくとも警戒する。
その時に前回書いた、”あまりにも勝手な思考ルーチン”で相手の心理状態を推し量る。

こける→ガンガード
唐草怖い→昇竜あるし?^^

昇竜ない^^;→垂直or後ろジャンプ

(セビ)バクステ

もちろん逃げ方はこれだけじゃないけど、簡潔に。
これらの一つを選び、強く意識していれば対処がしやすい。
例えばこかして相手が「ジャンプ」を選ぶと読んだなら、垂直なら正中線五段突き、バックジャンプならEXチェスト等の選択がとりやすくなる。
これらを考えるにあたって、ゲージ状況や直前までの試合の流れ(自分が押せ押せだったのか、相手がミスったのか、こっちのラッキーでこけたのか)や体力状況などがキーになってくる。

また、道着で昇竜セビ持ちだとして、

「2ゲージあるから昇竜してもいいか」なのか「2ゲージあるから相手は警戒する。」なのかで大分変わってくる訳だが。

ここで”読みを通すこと”が勝ちに繋がり、自分の武器になっていったように思える。

よく「欲望さん読み太いっすわぁ」とそこだけ褒めていただく機会も多いんだけど、じゃあみんなは”どっちを選択すればいいかわからない時”、当てずっぽうで選ぶだろうか。
受験や就活もそう。迷った時は自分の持ってるものでは判断するのがあたり前。相手がころんだ時どうするか、ここでも判断材料が活きてくる。だから勝ちたい相手がいる時は、その人が自分じゃない人とやってるのをよーく観察するといいよ。

さぁ盛大に話は脱線したけど、自分が【自力不足】を解消(あくまでマスタースパイラル脱出)できたのは、こういった今までの勝ちパターンに付加価値をしたことが大きな要因である。

そしてそれは同時に自分のプレイスタイルという個性になってる気がする。
まぁこれはアケネームの恩恵が大きいんだけど、それは次回。

あ、あと。BP3万行ってマスターになった時期は図に乗りやすい。しかも大体は量産型で没個性的になってしまってる人が多い。
暴言に近いし、それもありだと思うし、そういった人ばかりじゃないけど。
でももっと言うなら「その戦い方(対策、人読み)が正解だと勘違いしやすい」だから「変えることができない」
そのままトントン拍子に4万、グラマス、アルマスって行ければいいんだろうけど、そうじゃないのなら変わるしかないんです。
自分も同レベル相手なら十分に戦えてたけど、更に上に行きたいと思った時、もっともっと考えてやるしかなかった。

んで、これらの話は次の【惰性的な思考不足】にもつながっていく。

その時の自分は、いつもどおりになんとなくやってるから負けてた。
今思うと、マスタースパイラルの時はまだまだプレイスタイルを変化させられる時期でも在ると思う。
「今日はこういうことやってみよう」とか「もっと頭おかしいことも織り交ぜてみよう」とか試行錯誤も重要。
だっていつもどおりになんとなくやってたからスパってる訳で。
そんなムキになってクレジット投入する前に、「今自分に何が足りないのか」「相手が自分にしてくること」を考えましょう。

長くなりすぎて焦ってるから駆け足ですが最後に。
【集中不足】

「勝てる試合を逃してたら脱出はできない」。
というか、これはマススパに限った話じゃなくて。

強い人とやってて拮抗もしてるし、体力だって同じくらい減ってるのに、最後の最後で勝ち切れないというのはよくある話。
じゃあ、どうするか。

自分の場合は、勝ちっていう粗雑な意識を遠ざけて、目の前の相手を殴ることにしている。この時はすごく集中しているし、最後の最後まで画面を見てる。
そしてKOの表示が出てから「ああ、勝ったんだ。」「ああ、負けちまったー」ってなることが多い。

尖った意見だとは思うけど、本当に集中して、拮抗した試合をしてる時ってそんなとき。そして何より”記憶に残りやすい”。
記憶に残るほどの試合をすれば、その勝ちは自分の自信や武器を磨く砥石になり得るし、その負けは悔しさとバネに、そして思考する格好の材料になる。

「いつも集中してるよ!」って人はもう一段階深化させるといいかもしれない。勝負が決するのに長くても5分前後。しかも大会じゃなければ負けて失うものはBPと50円とかなんだから、やるだけやってみる。時間もか。
でもそこで掴んだものは、多分その人の力に結びつくんだと思います。

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はい。まとめますよ。

・自分にとってのマススパの原因は3つに分けられた
・大体変わろうと思っても変われない
→ならその変えられないものを磨き上げるべき(付加価値)
・勝ち続けていくことは、同時に個性の発現となる。個性は自信になる。逆もしかり。
→自分の武器を再認識しましょ
・一度めっちゃ集中して戦ってみるといいよ。相手も同じ人間。
→そういった試合は勝っても負けても何かに繋がる熱になる。

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とまぁ、あとは【リアル立ち回り】かなぁと最後の最後でゲス顔をしているわけなんですが。
自分がマススパから脱出してトントン拍子にウォーリア、10万、そしてすぐ10万落ち
と行けたのはこの辺を意識し始めたから。
でもマススパ被害者は多いし、原因なんて千差万別だとは思う。その人その人に他にも考えられる原因はある。

しっかりとした持論を持ってる人からしたら、なんだこれと思うかもしれないけど。
でもそうじゃない人がこれを読んでみて「なんで自分はマススパってるのか」を考えて、さらに脱出の手助けになれたら幸いです。

次こそは”じゃんけんについて”やります!

2014年1月20日月曜日

欲望的な格ゲー理論の話

人のすすめで格ゲーブログなるものを始めてみました。
といってもスーパーストリートファイターⅣ限定ですし、ぶっちゃけFなど細かい知識は皆無です。最近まで自キャラである、まことのUC1発生フレームも知らなかったくらいですし。ぶっちゃけ今もあやふや。

まぁ、でも大分のめりこんだゲームだし、自分なりの理論やらなんやらをまとめる意味でも書いていこうかなと思う次第です。
だいたいみんな何となく知ってることだと思うし、「そんなことかよー」とは思うかもしれないけど。他人と比較してみるのも楽しいとは思うし、何よりそこはご愛嬌ってことで。

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んで、そんないわゆる感覚勢の自分が何となく勝てるようになったのは何でだろうと考えてみたところ。ぶっちゃけわからない。でも強いて挙げるなら”やりこみ”。
よく強い人達が言うけど、ただやりこんだ訳じゃなく、考えてやりこんだ。

このゲームを始めた時、それまでの格ゲー歴は皆無。しかもAE Ver.から。要は格ゲーマーとしての下地も糞もなかった。
何しても勝てない頃は、ずっと「なんで俺はこの人に負けるんだろう」という漠然とした疑問に執着していた。

でもそこから「なんでこの人は負けないんだろう」とか「なんで俺は勝てないんだろう」に広がっていった。

そこでまずは相手の行動の一つ一つを記憶することにした。
試合開始にする行動から終盤でのフィニッシュへの運び方まで、相手が「今どうしたいのか」、「いつ勝ちに来るのか」を伺った。
さらに細分化すればグラップのタイミング、セビの使い方、無敵技の擦り、波動拳ひとつひとつに対して、どういう心理状態なのかを自分なりに考えた。

この「自分なりに」っていうのが肝で、それは別に実際に相手が考えてることと違ってもいい。長くやってりゃ、そうして作り上げた”虚像”は徐々に”実像”に近づいていく訳だし。
自分の中ではこれがいわゆる人読みになっていくんだけど、その虚像を作り上げる精度が高ければ高いほど初見の相手にも対処はしやすい。

こうした、あまりにも勝手な思考ルーチンを図ることで、勝ちパターンや負けパターンという”試合の流れ”や”勝ち負けへの道筋”も見えてきて、自分なりの対策をすることができた。
これがきっかけで、このゲーム初めて半年くらいでマスターになれた気がする。この頃はまだ本田使いでした。

言うなればネタとか技術じゃない”感覚”だとか”理論”という形のないものの寄与が大きい。もちろんそれらを実践する最低限の技術は必要だけど。(俺はここで昇竜滅をするんだ!って言って空高く黄ばむ人は再読。)

先の話はあくまでマスターまでの話。
なので、どっちかというとBP3万に行きたくても行けない人が試してみたらいいと思うこと。
でも、その合ってるかどうかもわからない理論というか約束事を頑なに守ってきたからこそ、自分の今の勝ちに結びついてるんだと思う。

ちょっと話は逸れるけど、例えば自キャラが端で転ばされた時、明らかに怪しいF消費をした初見のセットプレイ(飛び込み)に対して、昇竜もセビもダメな状況なら自分は大体表ガードを選んでた。もっと厳密に言うとジャストガード。
でも自分がウオーリアだった頃で、相手もレベルが高い人だったら?

「この人はBP高いし、このセットプレイくらいは知ってるだろ。だから対のめくり攻撃を狙ってやるZE!☆」ってなるんじゃないだろうか。

もしくはその人のプレイスタイルが読み特化なら、まっすぐ表で来るかもしれない。
こういう選択を迫られた状況でこそ、それまでの思考した分のものが活きた。
例はあくまで単純なものだけど、こういう”思い込み”が自分の”読み合い”の肝になってる。
ま、何度も何度もそういった反吐が出そうなくらい歪んだセットプレイを喰らい続けたこそではあるんだけど。

つまるところ、ただの”やりこみ”はそんな大きな恩恵をもたらすことはなかった。
そこに記憶力や経験則を伴った対応をしてこそ、このゲームで勝てる力に結びつくんだと思う。

ぐだぐだと管を巻いてきましたが言いたいことをまとめると、

・まずはその人の勝ちパターンを潰す、自分の負けパターンを潰す
・画面から目を離さず、常に思考する。
→ココロのスキマが一番の敵。マジで。
・自分の中にある理論や約束事は、即応性を捨ててでも頑なに守る。
→長期戦か一発勝負かで振れ幅はあるけど。
・臭いと思ったらとりあえずは逆を選べ。
→ダメだったらしょうがないで次。それは別に全国大会の決勝でもない訳で。
・読み合いの場を作った時こそ、それまでの判断材料が活きる。

こんなところか。相手が人であるかぎり正解はないけど、常に思考して反応してちゃんと技が出せれば、”このゲームにおいて本当の負けはない”。
つまりは強い。そんな勘違いをしたまま今までやってきました。

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なんとなく書き連ねてみたけど、意外と楽しい。見てる人はどうかわからんけどw
こうして言葉に置き換えてみて、再確認し、新たな発見も在った訳で。

ま、とりあえず今回は自分がこのゲームやってて、一番大事にしていることを書いてみた。
次はこのゲームで一番楽しい”じゃんけん”について書こうとは思うけど、いつになるやら。